武士道といふは、死ぬ事と見付けたり

『葉隠』です。私が読んだのは三島由紀夫の『葉隠入門』なので厳密には違いますが。ってアメリカドラマ好きでもちゃんと日本の本も読んでます。むしろ私のアメドラ鑑賞は日本で人気がないせいで原語=英語で見なくちゃならない…ってパターンなので、普通に日本語で読めるのは幸せです。スピードも理解力もやっぱ母国語には敵わないよね。古典は結構つらいけど。。。

一方でだからこそ、好きな俳優のドラマを延々と見てても文化が違うし母国語じゃないから完全にニュアンスとか理解できてないんだろうなって悲しくなったりもするけど。まあ所詮は娯楽だし、日本語の本やドラマもどこまで正確に分かってんだってのもあるから、そこまで悲観することでもない気もするけど。

と脱線してますが、今回は『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり』です。これ武士道は死ぬこととイコールって言うんじゃありません。『武士たるものは、常に死を覚悟して生き、どちらかを選ばざるを得ない状況になったら、みっともなく生き長らえるより潔く死を選びましょう。たとえ犬死と言われても恥にはならないから』ってことです。

三島先生もこう書いてます。

人間の生の本能は、生きるか死ぬかという場合に、生に執着することは当然である。ただ人間が美しく生き、美しく死のうとするときには、生に執着することが、いつもその美を裏切るということを覚悟しなければならない。

 
これ、私の大好きな悪役のパターン!←おい。

でもほんとに私が悪役に惹かれるのはそこに武士道があるからだ、と思ったりしました。和の心だよ。アメドラでもさ。バリバリ英語喋ってても武士道だよ。まあ悪役は犯罪とか殺人とか汚職とか悪いことしてるから悪役なんで、そもそも武士道に反してるじゃんてのはありますが。そこは置いといて。←置くのかよ。

要するに、共通するのは『滅びの美学』ってことです。

物語の主役は――正義の味方は、時に泥臭かったり人間臭さが求められます。ハッピーエンドのためには足掻いたり、仲間とぶつかり合ったり青春したり、みっともないことをしてでも生き延びます。そしてヒロインと結ばれたり。平和が戻ってよかったね、と終わるパターン。まあたまに犠牲になって死ぬとかのバッドエンドもあるけど。

一方で――理想的な悪役は、目的のためには人の心、人間らしさも捨てます。そして失敗・失脚したら、潔く死にます。こちらも命乞いしてみっともなく生き延びる悪役もいますが、それ私の好みじゃないから。←切捨御免。意味違う。

そして日米比較すると、アメドラの悪役のがあっさり死んでる気がします。日本はなんか救いというか躊躇がある。説得して改心、みたいな。でもこれ私が大嫌いなパターンです。←私情入りまくり。

というわけで、理想的な悪役の心得は『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり』に通じると。

まあ、武士道の潔さは日本的な『恥』の概念から来てるようなので、(特にアメドラの)悪役が死を選ぶ場合の動機とは多分違うと思いますが。『いかにしてカッコよく死ぬべきか』って武士の死生観と、倒されるために存在する悪役は、目指す方向が似ているのかもね。(※別に日本人が悪役って言うんじゃありません)

葉隠入門 (新潮文庫)

さて、私が好きなドラマの英語圏のレビューを見てる限りだと、アメリカ人はヒーロー・正義の味方が大好きみたいです。正義の味方やってた役者が悪役やると「こんな役やらないで、嫌い」って書かれます。日本よりその辺は大変そうです。。。日本も正義の味方やヒーローの方が好かれるけど、そこまで極端じゃない気もします。その辺はやっぱり、勝者を崇めてとにかく勝てば正義の国と、負け方にもこだわってスポットを当てる国の違いではないかと。個人主義と集団主義の差もあるかも。勿論、これも個人差はありますけど、文化的な傾向として。

実際は更に宗教とかその他の要因も絡むし、時代もあると思います。今の時代の多くの日本人は潔く死ねって言われる前に、そもそもそんな選択させられる状況から逃げそうです。私も痛いの嫌いだし、お国のためとか忠義のために潔く死ぬのは嫌だし絶対逃げる。←自分は棚に上げまくり。

kamikaze 神風

アメドラつながりでもうひとつ書くと、英語化してる日本語としてよく出てくるものの中に「kamikaze(神風)」がありますが(しかも形容詞・名詞化してるので「kamikazes」って複数形で使うこともあり)、これは元の『神のご加護で風が吹いて幸運が訪れた=僥倖』的なニュアンスは全くなくて、戦時中の神風特攻隊がベースになってます。なので自爆の意味。自爆テロとかのニュースでも使われますが、もっと軽いやつ、単なる自滅事故や無茶なことをする人・行為もそう呼んでたりする。

– What happened?
– Some guy lost it on the curve. Pulled a kamikaze into the tree.

The Pretender S03E18

使われるニュアンス的にも軽すぎて、なんとなく死者への冒涜に聞こえるっていうか、日本人としてはもっと重い言葉だぞって思ったりもしますが、お国のためとか名誉のために特攻するみたいな言葉の背景を歴史と共に学習してる日本人と、アジアの小国の『クレイジーな行為』としてしか見てない海外の温度差もあるんだろうとか思ったり。戦時中のことだから仕方なく特攻した人も多かったとか言われていたり、行為自体も今となっては美化はできませんが…。それと共に、私もアメドラを見ながら英語の背景やニュアンスの重みを理解せずに辞書の意味だけで分かった気になっていることもあるんだろうなって、最初に書いたように思ったりもします。

 
武士道も悪役も、現代ではある意味フィクションの中の存在でしかありませんが、そんなことを考えつつ物語を見るのも文化の違いや意外な共通点を見つけて楽しいかなと思ったり。本当に武士道を極めている方には、こんなあほなこと書いてて申し訳ない…。