家族がやたら病んでる・死んでいる・実の父親じゃない

なんてタイトルだ!って言われそうですが、アメリカドラマの法則です。日本から見ると、家でも土足だとか、ベッドの上でも靴履いてるとか、椅子があってもわざわざ隣のテーブルに腰かけるのはなんでなんだとか、車のボンネットにも座るよねとか、食べ物ポイポイ捨てすぎとか、文化の違いも結構ありますが、話の展開のお約束もあります。

アメドラの登場人物はやたらと身内が死んだトラウマ抱えているとか、病んでるとか。シーズン最後は爆破か生死不明とか、お墓を開けたら空だったとか、死んだはずが死んでないとか、誰と誰が兄弟姉妹だったとか。実の親じゃなかったとか、逆に誰かが実の親だったとか。これらはもちろんジャンルにもよりますが。

こういうのって最初に見た時は日本にない展開だけに「おおー」っと思うわけですが、いくつかのドラマを見ていると、似たようなものがまた出てきたりして「なんだこれよくある展開か」って気づくという。

そもそも日本のドラマは1クールで終わりで続編は滅多にないから、シーズン最後にきっちり伏線を回収していきます。一方でアメリカのドラマは視聴率次第でズルズルとどこまでも伸びるから、きっちりカタをつけられないと。犯人すら曖昧だったり。そんなわけで「曖昧・ちゃぶ台返し」が多発するわけで、これらもパターン化していると。

※下記で例に出しているのは、私が感想を書いていることもあり古いドラマばかりですが、最近のものでも見かけます。ただタイトルを書くとそのままネタバレになってしまうという…。

身内が殺されすぎ

『Crossing Jordan(女検死医ジョーダン)』の主人公ジョーダンと『The Pretender(ザ・プリテンダー 仮面の逃亡者)』のミス・パーカーは両方とも幼い頃に母を殺されたトラウマを抱えているメインキャラです。『Blue Bloods(ブルーブラッド)』のシーズン1は次男が殺された謎を追うのがテーマです。その他のドラマや登場人物でも、家族の不審死のエピソードがやたらあったりして、やっぱりアメリカは治安が悪いからか?とか見るたび思ったりもしますが(不謹慎だけどありえないとも言えなさそうな)、創作上の都合って面で見ると、困った時にそれでエピソードが作れるからに他ならないと。たまに実は死んでないパターンも出てくるし。

日本だと物騒な死に方してるのは犯罪ドラマくらいで、他は身内が死んでても病死で、美談ネタになるのが多い気がします。

キャラ病みすぎ 家族に悩みすぎ

これも上の身内の死のトラウマと関わって来ていたり、似た目的で設定されてる気がします。要するにエピソード稼ぎのための設定と。そう言ってしまうと身も蓋もないけど、完全無欠でない駄目な人間も出てくるのがアメドラのお約束だったり。それに付随して、カウンセラーや精神科医や日本ではリアルでも滅多に見ないような職業の人たちも頻繁に出てきます。

本人がまともでも身内が病んでて振り回されてる設定とか、依存症とか出てくるのも、お国柄的な感じがします。日本だとどう見てもアル中なキャラがいても、病んでるとは取られません。それはネガティブな設定にしちゃうとスポンサーが付きにくいとか、お酒関係の広告がとか(以下自主規制)

また日本だと成人したら親のせいじゃなくて自己責任とか言って、いつまでも親のことや子供時代のことは言うもんじゃないって感覚がありますが、アメドラだといい大人が子供時代を引きずりすぎ。大人になってから子供時代のこと延々言ってたり、そのせいで病んでたりします。家族至上主義的な文化の違いもあるのかも。(でもリアルの事件の際は、日本は犯人が成人していても親のせいと言われる一方で、アメリカは親は関係ないと切り離して考えられてたり、反対になってます)

撃たれて死ぬのはザコ

脇役は銃で撃たれてあっさり倒れて動かなくなりますが、メインキャラはなかなか撃たれないし、大体は撃たれても腕とか足とか致命傷を負わない場所で、布巻いただけでそのまま活動続行します。腹撃たれても、ガーゼ貼っただけでその後走ってるようなタフガイキャラもたまにいます。お前はクマかっての。まあ大体は『当たり所』で片付けられるんでしょうが。乱射されてもメインキャラには当たりません。まあこれは日本のドラマもそうかも。

生死不明END

シーズン最後の曖昧ENDは『Crossing Jordan(女検死医ジョーダン)』の下の方でも書きましたが、クリフハンガーと言って、結末を曖昧にして次シーズンまで視聴者を引っ張るためのテクニックです。役者の出演交渉難航で曖昧になってる場合もあったりするそうな。行き当たりばったりなので、はっきりできないと。

死んでない 生き返る

上の生死不明で死んでないかも…ってシチュエーションからの生きてた展開だけでなく、確かにしっかりはっきり死んだはずの登場人物ですら生き返るのはアメドラではよくあります。大体は「実は死んでなかったのだ」「死んだと見せかけたのだ」くらいの大雑把な説明で戻って来るところがアメリカン。私が聞きたいのは「どうやって?」なんだけど。

勢いで殺してみたけど話の筋に詰まったからやっぱり生きてた方がいいとか、メインキャラの場合はお金の話とかの大人の事情で復活するのがほとんどの様子。たまに「おおー」って言わせるためだけに、復活させといてまた殺す、何がしたかったんだよ?パターンもあり。

多用されてるけど、死んだはずが生き返るのは究極のなんでもあり設定なので、視聴者は冷めます。メインキャラでこれやると、ついていけなくなってアンチが増えたりします。

アクション以外だと、放映前にギャラの交渉決裂で降板とかの海外ゴシップが出た挙句、メインキャラが急に引っ越したりで画面から消えますが、たまに戻ってきます。ホームドラマなどでは、死んだはずのおばさんが生きてた!なんていきなり登場してくるパターンもあるけどこれは兄弟姉妹と同様にメンバー追加の口実だったり。

お墓が空

上の死んでなかった設定のひとつ。お墓を掘り起こしたら棺の中が空だったってのは火葬文化の日本では使えないですが、土葬文化もあってかアメドラではたびたび見ます。中の遺体がすり替えられていたって犯罪ものなら日米ありますが、そういう真面目なトリックとは裏腹に、アメドラの場合は「実は死んでなかった!おおー」って言わせて話を引き延ばすためだけに使われているような。ホラーだとゾンビも定番です。

兄弟姉妹増えすぎ

普通に親が再婚したからって真っ当なパターンも多いですが、サプライズネタとして登場人物の誰と誰が実は兄弟姉妹だったとか、隠れた兄弟姉妹がいたとか、途中で家族増えるパターンも多いです。これらの設定は登場人物を追加する時にも使われますが、既存の登場人物同士の場合は「おおー」って言わせるためだけに安易に使ってる。

実の父親じゃない

慕っていた父は、実は本当の父親じゃなかった!ってやつです。当然ながらじゃあ本当の父親は誰だって謎とセットで出てきます。これも『Crossing Jordan(女検死医ジョーダン)』『The Pretender(ザ・プリテンダー 仮面の逃亡者)』のページで書きましたが、なんでいつも父親なのかなと。上の姉妹兄弟と同様に、養子やステップファミリー文化が根底にあるのかもしれませんが、倫理観も疑うよ。

日本の場合は実の親じゃなかった(のに育ててくれた)とか、理由があって生き別れていた実の親と再会したとか、美談的な流れでやましいこともなく、父も母も両方のパターンが出てきますが(アメドラでもそういう感動物語はあるにはありますが)、アメドラの父親は托卵されすぎです。

で思い当たったのは、その倫理観から、アメリカでは日本以上に「おおー」と思わせる要素があるのではということ。

実の父じゃなかったってことは、見も蓋もない書き方をしてしまうとイコール母が浮気していたというわけで、母親と×××だとか、×××の息子だとか、私生児って単語が罵倒語になる英語圏(キリスト教圏)では、よりタブー度が高くてインパクトがあるのではないかと。日本でも浮気の子がバレたら修羅場ですが、アメリカはそこに宗教的倫理感も加わると。そして実際、日本のドラマのように美談の流れではなくて「おおー」って言わせるためだけに使ってるからね、ホイホイと。

[ここからネタバレ&実践例]

何度も例に出してる『Crossing Jordan(女検死医ジョーダン)』でマイケル・T・ワイスが演じたジェームスって役は、シーズン途中に作ったキャラでゲスト出演でしたが、実は主人公ジョーダンには隠された兄がいた!って設定で出てきて、子供の頃に死んだ母を殺した真犯人じゃないかって疑惑を背負ってます。更に主人公の父親に向かって「あんたに人生奪われた」とか「あんたは実の父じゃない」って迫ってます。いきなり出てきて何言い出すんだと。そもそもお前は誰なんだよとか、40歳近くになって今更赤ちゃんの頃に捨てられたって話を持ち出すなよとか、冷静に考えるとツッコミどころしかないキャラだったり。挙句に主人公である妹にストーカーして、刑事が追ってた殺人事件の件は自白せずに生死不明で消えてます。結局、何しに出てきたんだよ?一連の謎は全く解決してない上に、新たな謎を増やしただけ!――こんなの日本のドラマじゃありえないけど、アメドラは「おおー」と言わせて視聴率さえ稼げればOKな雰囲気ドラマだからいいんだよね。←散々書いてますが怒涛の不幸設定に感情移入してくり返し見まくってます。

他にも『The Pretender(ザ・プリテンダー 仮面の逃亡者)』でも、メインキャラのミス・パーカーの母の死の謎はシリーズ通したテーマになっていて、自殺→他殺(誰が殺したかで二転三転)→弟を産んでた→死んでなかった→他にも弟がいた→やっぱり殺されたって、母のエピソードだけでも展開ひっくり返しまくってました。更にずっと慕っていた父に対しても、シーズン終わった後のテレビ映画版で唐突に「実の父親じゃなかった」って設定ぶっこんできてますが、これも話の流れには全く意味がなくて、ただ「おおー」っと言わせるためだけのエピソードだったような。しかも実の父じゃなかった人と、本当の父親が兄弟だった設定も出てきて、やりすぎ。そもそも母は信心深くていい人で父と愛し合っていたからこそ、残された人たちはずっとその死を引きずっていたはずなのに、浮気してたってことなのか?とか、そんな説明も全然ないまま終わりました。無茶苦茶よ。その他にも、このドラマは主人公の生き別れの両親探しがテーマなので、主人公のエピソードでも両親の謎とか弟妹とか散々出て来てたし、他のキャストも家族増えてたし、登場人物が死んだり生き返ったりしてたし、お約束テンプレの宝庫みたいな物語でした。

  

こういう無茶苦茶なドロドロ展開は、日本だとジェットコースタードラマって言われるタイプのやつとか昼メロ辺りが近そうですが、日本のドラマの衝撃的な設定・エピソードっていうと、もっぱら性的・猟奇的なものに偏ってるような。日本のドラマのお約束もまとめたら面白そうですが、何よりまず日本はちゃんとオチつけて伏線を回収している点がアメドラとは違う…。

というわけで、アメリカドラマはエンターテインメント至上主義なので、瞬間瞬間「おおー」っと言わせてエピソードを稼ぐためだけに、キャラの性格や話の整合性や情緒を無視して、こういう設定をホイホイ使ってくるというのが結論ではありますが、お約束でもやっぱり「おおー」と言っておくのが視聴者側の楽しみ方でもあるのかなとも思ったりします。